Family Memorial

Essay

エッセイ

Keiko Masuda

HOME > エッセイ > 2012.12.12

2012年12月12日

皆さん、早いもので、今年も余すところ1か月を切りました!
寒い毎日、お元気ですか・・・?
私は、今月、年一度の人間ドックの際に、インフルエンザの予防注射を
受けようと思っています。
皆さんは、もう済みましたか・・・?
インフルエンザと言えば・・・・・2005年2月末、2年間限定の
ピンク・レディーコンサートVOL3 のまさに初日直前、インフルエンザにかかり
2日間の入院をした苦い思い出があります・・・。
高熱と、止まらない咳とで・・・本当に苦しかったです!
それ以来、予防接種は欠かさない様にしています。
皆さんも、くれぐれも気を付けて下さいね!

ピンク・レディーと言えば・・・
今年に入ってから、よくファンの方から、事務所に問い合わせや直接質問を受ける事があります。
「ミーさんが、ピンク・レディーナイトというタイトルのショウをやっていますが
ケイさんは出ないのですか・・・?」と
うーん! 確かにまぎらわしいですよね!?
お答します・・・残念?ですが、私は出ませんよー。
私も、ソロライブではピンク・レディーのナンバーは歌います。
勿論、大好きな曲ですし、ファンの皆さんも喜んで下さるし、第一盛り上がりますから・・
でも、一番盛り上がるのは、「もいちど遊びましょ」となんてったって「白い小鳩」なんですけど・・・(笑)
とにかく、ピンク・レディーナンバーを、私は特別大事にしているのです。
だからこそ、ソロライブはあくまでも、増田恵子の世界!これを、皆さんが充分に
楽しんで下さって、ピンク・レディーとは全く別の世界を共有していると思っています。
昨年ミーと二人で、ピンク・レディー全国ツアーを実現出来た時は、日本中の皆さんに
再びピンク・レディーとしてお逢いする事が出来て、心から幸せを感じました。
二人揃ってこそ、ピンク・レディーなのです。
私は、ピンク・レディーという名前を、何よりも大切にしたいのです。
それは、今は亡き相馬さんとの約束でもあるからです。
ピンク・レディーという名前を、そしてピンク・レディーの価値を、プライドを持って
守ってくれよな! といつもいつも、それが口癖でした。
そして、それは私の使命でもあります。
1976年2月、スタ誕の決戦大会で、アクトワン・エンタープライズと書いた
プラカードを持った相馬さんと出会えたからこそ、ピンク・レディーが存在する事を
私は一生忘れる事は出来ません。
そして、その時の、増田啓子 根本美鶴代 この二人が揃ってこそピンク・レディーと
名乗れるのだと思います。
分かって頂けましたか・・・?
さあ、今年も もうすぐ終わります。
でも、私の挑戦は、まだまだ終わりませんよー。
益々、心と体と歌をみがいて!!!

増田惠子

pagetop